幼稚園の歴史

日本において幼稚園にあたるものは、1872年に公布された学制の中ではじめて規定されました。
「幼稚小学」というものであり、学制の第二十二章では「甲女ノ子弟六歳迄ノモノ小学ニ入ル前ノ端緒ヲ教ルナリ」とされています。

これにもとづいて1875年には京都で京都上京第三十区第二十七番組小学校に、「幼穉遊嬉場」というものが付設されました。
そして、世界ではじめてドイツのフリードリヒ・フレーベルが設立したキンダー・ガルテンへならい、「幼稚園」という訳語を使って1876年に東京で東京女子師範学校附属幼稚園が開園します。

日本ではじめてのこの幼稚園は、現在のお茶の水女子大学附属幼稚園にあたります。
ただ、当時の日本は国を挙げて富国強兵、外国に追いつき追い越すという方針を唱えていて、実際に幼稚園へ通っていた子どもたちも上流階級の子息が中心でした。

現在のように100%近くの子どもが幼児教育を受けているという状況はなく、幼稚園における教育の内容も保護者を納得させるものでならなければならなかったのです。
そのため、子どもたちの才能が引き出されるよう個性に応じて「遊び」なども活用した活動などは行われていず、実際には子どもたちに道徳的な話を聞かせる、そろって机上で作業するといったことが中心になっていました。

東京女子師範学校附属幼稚園は、その後全国へ広がっていった幼稚園のモデルケースにもなりました。
また幼稚園の数が増えていくにつれて、上流階級だけでなくあらゆる子どもたちに対して幼児教育が必要とされるようになっていきます。

そこで活躍したのは、東京女子師範学校附属幼稚園で園長を務めていた児童心理学者でもある倉橋惣三でした。
開園以来のフレーベル教育は形式化されたものになっていたこともあって、幼児教育改革が行われ、子どもの目線に立って自由に遊ぶということを第一義にしたのです。

そこで子どもが環境の中において遊びながらさまざまな経験を積み、家庭でさらに発展させるというスタイルが提唱されました。
これが現代まで続いている幼児教育の根底であり、幼児教育について定めている法律である「幼稚園教育要領」においても遊びを重視した基本的な考え方は変わっていません。

小学校に入学してからの教育方法とは性質がまったく違ったものになっているため、幼稚園での教育は「保育」とも呼ばれています。
つまり学校教育で行われている「勉強」とは、教育内容が違っているというわけです。

とはいっても、その時々の教育方針によって傾向に違いが見られる場合もあります。
小学校へ入学するための準備期間として位置づけられれば、教育内容としても準ずるものになります。

また昨今においては、それぞれの幼稚園で個性を打ち出したさまざまな幼児教育が行われるようになっています。
体操や跳び箱、水泳などをする時間や英語の教育が行われているなど、子どもの多様な可能性を引き出す教育が提案されていて、そこから各家庭で子どもを通わせる園を選択するというかたちも定着してきました。

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